【本日は、雑談の続きです。】

おはようございます。

本日は、雑談の続きです・・・テーマは「寛容」です。

先日の雑談はこちら

席に着くと私達の隣は一時間前のリザーブ時には空いていた席に50代ぐらいのご夫婦が座っていました。

ご夫妻とも小脇に、お子様達が砂場で遊ぶバケツよりも大きなポップコーンの箱を双方抱えていました。

(私はポップコーンが苦手で食べません。)

場内が暗くなり、宣伝が始まりました。その間、隣のご夫妻はず??っとポップコーンを口に運んでいました。

「バリっバリっくちゃゴクン。」「バリっバリっくちゃゴクン。」と規則正しく繰り返され、音が止む事がありません。

大抵、宣伝と宣伝の間(つまり、場内が暗くなり静かになるとき)は、気を使って食べるのを止めたり、

食べる速度を遅くして「バリっ・・・・バリっ・・・。」ぐらいになるのですが、お隣のご夫妻はオカマイなしで、

引き続きバケツ大のポップコーンを頬張っていました。そして食べ続ける為、咳き込みます。

私は『勘弁して欲しいな?』と心の中で思いながら、本編が始まる前に食べ終わらないのかと、

バケツを覗き見しましたが、さすがはバケツサイズ暗闇の中でも、たっぷりと白い物体が見えました。

『入場規制でバケツはヒト家族、1個までにしてもらえない??』と少しご立腹モードに突入しながら、

映画館サイドのことを考えていました。

(つまり、食べている人が悪いのではなく、販売側に責任があるのでは?と考え始めたのです。)

何故、ポップコーンを売らなければならないのか?

アメリカの文化をそんなに継承しなければならないのか?

客単価を上げたいのは分かるが、今は禁煙席・喫煙席がある時代、(喫煙者は肩身が狭いんだぞ!)

しかもそれを提唱したのはアメリカではなかったのか?

何故ポップコーン席とノンポップコーン席を分けて用意しないのか?

もしくは、この上映時間中はポップコーンの飲食は出来ません的な、場内をポップコーンを食べる人・食べない人で入れ替え制にできないのか?と自分の都合の良いことばかりを考えていたら、本編が既に始まっていました。

その間もお隣は一定のリズムでポップコーンを食べ続けていました。そして、もれなく咳き込みます。

私は、気になって気になって・・・とても本編には集中出来なくなってしまいました。

映画も佳境に差し掛かると、さすがのバケツも空になり、安堵していると・・・、

お隣さん達は、リアクションをとるようになってきました。

爆破のシーンがあると、「わい!あぶね?じゃ。」(「おい、危ないぞ。」)

(注意)小声ではなく、普通のトーンで言っています。(「」)内は標準語です。多分。。

残虐なシーンがあると「見でらいねー。」(「見ていられないねー。」)

スリリングなシーンでは「おっほっっほ?♪」と声を発しながらのリアクション攻撃を私にお見舞いしてきたのです。

↑はエスカレートし、「お父さん、さっきの人死んだんじゃないの?」や「わかんねぐなってきた。」(「難解ゆえ、理解に苦しむね。」)や「これだ、こいつだべ?、わりぃやつだ」(「この人が悪人だ。」)と夫婦で会話をし始めたのです。

『ここ(映画館)は、あんたらの家か!!』と心で突っ込みつつ、怒りを抑えて映画を見つづけました。

映画を見終わってその帰り道・・・、久しぶりの妻との映画鑑賞だし、ここは寛容になって、

映画の感想でも、と考え「映画どうだった」と聞くと妻は「あなたの隣の人達って・・・」そこからの会話はすべて、

お隣さん達の話しとなり・・・今も久しぶりに見た映画の感想はお互い聞いていないままです。